あなたはロジカルシンキングと聞いて、どういうイメージをもつでしょうか?

仕事に必須のスキルだと考えている人もいるかもしれませんし、もしかすると人によっては、小難しい理屈を使って相手を言い負かすことだと考えている人もいるかもしれません。

しかし本来のロジカルシンキングとは、複雑な事象を整理して考え、多くの人にとってわかりやすく説明し、相手を納得させるための技術なのです。
仕事上はもちろん、あなたの日簿の生活のなかでも役に立つスキルであり、物事をうまく説明することで相手と協調をはかることもできるようなります。

今回は、ロジカルシンキングの基本要素である「演繹(えんえき)」と「帰納(きのう)」について説明し、ロジカルに考えるうえで多くの人が陥りがちな「前提」の誤りや偏りについて説明します。

 

ロジカルシンキングとは

納得できる結論を導き出す力

ノート
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ロジカルとは日本語にすると「論理的」や「理に適っている」といった訳になりますが、人によっては「理屈っぽいこと」や「屁理屈」といった感覚をもつ人もいるようです。

しかし本来「論理的」であるというのは、結論に妥当性があり、誰にでも納得しやすいという意味があります。一方「理屈」や「屁理屈」というのは、まさに字の通り「理」が「屈折」してしまっていることをいいます。

辞書的には「物事の筋道」という「論理」とほぼ同じ使い方をされることもありますが、同時に「こじつけの理由」や「現実を無視した条理」といった意味もあるため、必ずしも「ロジック(論理)」と「理屈」は同じではないのです。

「論理」とは本来、正しいことを証明するために妥当な考え方の流れのようなものであり、「論理的」とは、一言で言えば「筋が通っている思考形式」ということになります。
そして論理的な思考、即ち「ロジカルシンキング」というのは、論理的に物事を考えることで、誰にでも納得できるような結論を導き出す力であるといえるでしょう。

ですから、多くのビジネスシーンでロジカルシンキングが重宝され、様々なデータ分析やプレゼンテーションなどの基本となっているわけです。

 

ロジカルシンキングで外せない「演繹」と「帰納」

演繹法と帰納法
出典:http://appotoco.seesaa.net/article/310182587.html

ロジカルシンキングについて考えるうえで欠かせないのが、私たちの思考形態でもあり、推論の方法でもある「演繹法」と「帰納法」です。

「演繹」とは、いくつかの「前提」をベースに、論理的な妥当な形式に則って結論を導き出す手続きのことを指します。
その前提には「大前提(ルール)」と「小前提(事実)」があり、これら2つの前提によって結論を導き出わけです。

一方「帰納」とは、個々の事実や現象から一般的な結論や法則を導き出す手続きであるということができます。私たちが学生時代に勉強した「数学的帰納法」の「帰納」ですね。
一つひとつの事象を拾っていき、それらの共通部分からある一定の法則や現象を結論として導き出すアプローチということです。

「演繹法」も「帰納法」も、その「前提」が結論を導き出すために必要になるわけですが、演繹法の前提となるのが、既に確立されている法則やルールなどであるのに対し、帰納法ではそれぞれの事実を前提に、それらに共通する法則や現象を推論する形式になっているのです。

 

「演繹法」の構造から論理を考える

本とめがね
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前項で述べたとおり、演繹法では「大前提(ルール)」そして「小前提(事実)」そして「結論(主張)」という構造になっています。

たとえば「赤信号では、車は停まらなければならない」という「ルール」があります。そして私たちは運転中に「信号が赤である(これが事実)」ということを確認し「停車しなければならない(これが結論)」と思い、実際に停車します。

これが最も基本的な三段論法と呼ばれるものであり、「大前提」→「事実」→「結論」という流れになります。
私たちは、無意識的にこういった論法を日ごろから用いており、目にする様々な「事実」をもとに、行動に結びつけるための何らかの結論を出しているのです。

演繹法は、前提条件が正しければ、ほぼ正しい結論を導き出せるので議論でも多用されますが、もしこれらの前提条件に誤りがあった場合は、誤った結論を導き出してしまうこともあります。

実は、世の中に溢れている数多くの誤った結論、偏った主張の原因は、ほとんどの場合「大前提」に誤りや偏りがあるために起こるのです。
これについて詳しくは後述しますが、たとえば議論において重要なのは、相手の主張の「前提」が正しいのかを検証してみることなのです。

 

帰納法は確実でない方法

男の人
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次に「帰納法」について考えましょう。
ロジカルシンキングで帰納法を用いる際に注意しなければならないのは、帰納法で結論の確実性は保障されず、何かを完全に証明するということはほぼ不可能だということです。

その人の結論や主張を支持するために示された事実の量や情報の質で、結論の正しさの可能性が高まるのみであり、厳密に100%結論が正しいといえることはほとんどありません。

たとえば、Aさんという高校生がいるとします。

  • Aさんは学校での成績が、いつも5段階評価で4以上だった。
  • Aさんは生徒会役員をしている。
  • Aさんはテニス部の副キャプテンである。
  • Aさんは、有名私立大学への推薦が決まっている。

以上のような「事実」をもとに、いかなる結論が帰納的に導き出されるでしょうか?
もしかすると「Aさんは優秀な高校生である」という結論を出す人もいるでしょうし、あるいは「Aさんは将来立派な大人になる」考える人もいるかもしれません。

しかし実際にAさんがどういう人間なのかについては、こういった「断片」から推測するしかないわけです。演繹法ならば、明確に提示されている前提に基づいて議論が進むことが多いため、結論についても妥当性を判断しやすいのですが、帰納法ではピックアップする事実によって推測される結論は大きく変わってくることが多いですし、結論を出す人の価値観や認識によって千差万別の主張になることもよくあります。

なぜならば、帰納法を通じで私たちが行っているのは、パターンや類似性を導き出すことだからです。演繹法とは違い、帰納法では前提(個々の事象)と結論との結びつきは必然的なものではなく、ある程度の「可能性」というレベルでしか結論を出せません。
本来であればその結論を構成するために必要な要素を、私たちが見落としてしまっている可能性もあるからです。

つまり人間の認知に限界がある限り、帰納法で結論付けられた主張が完全に「真」であるかどうかはわからないともいえるわけです。

 

破綻している「論理」

論理的でない主張とは?

チェス
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では論理的ではない状態、即ち「非論理的」であるとはどういうことでしょうか?
これは演繹法の説明で述べた「大前提」や「小前提(事実)」から導き出される「結論」が誤っている場合をいいます。

たとえば「全ての人間はいずれ死ぬ」という「ルール」があり、「Aさんは人間である」という「事実」があるとします。

しかし、ここから「ゆえに、Aさんは死なない」などという結論が出てくるわけがないというのはお分かりいただけると思います。当然「Aさんはいずれ死ぬ」という結論が出てこなければおかしいですよね? 筋(論理)が通っていません。

このように大前提と小前提(事実)が明確に定義されているのに、出てくる結論が明らかにおかしい場合、その主張は「論理的ではない」とか「非論理的な結論だ」といったりするわけです。論理という「流れ」が「破綻」してしまっていると考えてもよいでしょう。

ただし、こういった間違いはそれほど多くはありません。

程度の差はあるにせよ、誰にでも論理的思考力というものは備わっていますから「大前提」および「小前提」がはっきりしていれば、出てくる結論だけを間違えるといったケースは少ないのが実態でしょう。(※ただし、大前提や小前提の定義や範囲が曖昧だったために結論がおかしくなってしまう場合がありますが、これに関しても後述します。)

問題はむしろ「大前提」や「小前提」が間違っているケースです。
ロジカルシンキングを身に付けるうえで注意するべきは、こちらの方です。多くの「噛み合わない議論」や支離滅裂だと思われるような主張の原因は、その人たちの「大前提(ルール)」に齟齬があったり、「小前提」すなわち「事実認識」の誤解にあるのです。

 

「前提」に関する間違いはとても多い

メモ
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まずは「小前提」が誤っている場合について考えてみましょう。
こちらは単純明快なので、すぐにわかると思います。即ち「事実の誤認」です。

先の信号の例でいれば、赤信号にもかかわらず青信号と勘違いしてしまうようなケースが該当します。
「そんなことを間違えないだろう」と思う人もいるかもしれませんが、それは「信号の色」という多くの人が認識しやすい事象だからです。

世の中には、一目見ただけで「事実」であるかどうか正しく認識できない事象も多くあるものです。たとえば専門知識がなければ正しく現状を把握できないことや、単純に視覚や聴覚の錯誤によって事実誤認が発生する場合もあるでしょう。

いずれにせよ、その人の事実認識が誤りがある場合は、当然正しい結論が導き出されることはありません。

次に「大前提」が間違っているケースですが、実は多くの誤った主張や偏った結論が、これによって引き起こされています。
本当に様々なケースが考えられるので、これに関してはより詳細に考察してみる必要があるでしょう。

今回はその代表例として、以下で「過度に一般化された前提」について説明したいと思います。

 

世の中は偏った「大前提」による主張だらけ!?

「大前提」にバイアスがかかるとき

会議
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先の帰納法についての説明の項で「結論を出す人の価値観や認識によって千差万別の主張になる」と述べましたが、演繹的主張のベースとなる「大前提」も主張する人の価値観や認識の偏りによって客観性や妥当性を欠いてしまうことが往々にしてあります。

これはなぜかといえば、演繹的議論の大前提というのは、結局のところ過去に様々な方法によって帰納的に導き出されたものがほとんどだからです。
これがある程度共通した一般知識であったり、明白な証拠によって多くの人から支持されるような前提を用いているならば、結論もある程度妥当性をもったものになるでしょう。

しかしその前提の妥当性に疑問がある場合は、導き出される結論も同様に妥当性が疑われるようになってしまいます。

 

まずいレストランの例

レストラン
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たとえばあなたがあるレストランで食事をしたとして、そこで注文したA定食が、あなたの口に合わなかったとします。
そして次の日、今度はB定食を注文しましたが、これも美味しいとは思えませんでした。

多くの人は、この時点でこのレストランに行くのをやめてしまうかもしれません。しかしあなたはさらにC定食、D定食を試してみましたが、どちらもやはり美味しくはありませんでした。

ここであなたは、帰納法を用いてこのレストランにどういった評価を下すでしょうか?

おそらく「このレストランの定食料理は美味しくない」といった結論を出すでしょう。実際、このレストランの提供している定食料理がA~Eの5種類しかなかったとしたら、この結論は妥当なものだといえるはずです。

そしてあなたが帰納的に導き出した「このレストランの定食料理は不味い」を大前提として、残りのEという定食についても以下のプロセスで結論を出すこともできます。

「このレストランの定食料理は不味い(大前提)」→「Eという定食料理はこのレストランの提供しているメニューだ(事実)」→「Eという定食料理は不味い(結論)」

無論、実際にE定食を食べてみない限り、本当のところはわかりません。ですが、推論としてはある程度妥当性があるといえるでしょう。

しかし、あなたが導き出した結論が「このレストランは美味しくない」というものだったとしたらどうでしょうか?

もしこのレストランのメニューのほとんどがパスタ料理やラーメンだったならば、この結論は些(いささ)か「言い過ぎ」なのではないかと思う人もいるのではないでしょうか?
実際に、定食料理を食べただけで「(すべての)料理が不味い」という結論は妥当性を欠いています。少なくともあなたは、他の種類のメニューを試したうえで、この結論を出すべきなのです。

これこそが「過度に一般化された前提」であり、これによって導き出された結論は妥当性があるものとは言い難くなってしまいます。

実際はこのレストランの麺料理がとても美味しくて人気だったとしても、あなたの「このレストランの食事は不味い」という偏った前提がある限り、あなたの導き出す演繹的結論は真実とは違ったものとなってしまうのです。

しかし、こういった偏った前提認識による主張は、私たちの周りに溢れています。

 

よくある「過度な一般化」

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たとえば「最近の若者は・・・」とか「最近の男(女)は・・・」というような愚痴をよく聞きますが、こういった「過度の一般化」のために主張の「大前提」に客観性が欠けてしまったり、偏りが生じてしまうことも往々にしてあります。

たとえば「最近の若者はだらしがない」といった発言を肉付けすると、ほとんどの場合「最近の若者はすべてだらしがない」という意味になるわけですが、当然この時点でおかしいことに気づく人が多いはずです。

その人が主張するように、「すべての若者」が「だらしがない」ということはないでしょう。
これは少し考えれば誰でもわかることです。

ただし「最近の若者はだらしがない」といっても、当然「すべての若者」のことを指して主張していない場合も考えられます。実際「(世の中の)すべての若者なんて言っていない!」という反論が聞こえてきそうです。

しかし、このような「大前提」に当て嵌まる対象・事象の範囲が曖昧なまま論理を展開してしまうと、当然ながらその結論も偏ったものになってしまいます。

ちなみに細かいことをいえば「最近の若者」というのも、厳密にはどれぐらい「最近」なのかが曖昧であり、また「若者」が具体的に何歳から何歳までの人を指すのかも不明瞭だということにもなります。

こういった主張は「過度な一般化」であり、場合によっては主張者の意見を通すために故意に前提の示す範囲を拡大して、不当な結論を導き出していることもあります。
これではロジカルな主張とはいえません。

たとえ愚痴や軽口のレベルで完結してしまうような主張であったとしても、聞き手に誤解を与えてしまったり、明らかに前提が曖昧な主張は避けるべきでしょう。

ロジカルに物事を主張をするためには、なるべく大前提は誰でも正確に理解できるように定義していなければなりません。特に前提に該当する対象の範囲は、できるだけ明確にしておくべきなのです。
これこそが、ロジカルシンキングの基本であり、議論の「大前提」であるといえます。

 

まとめ

これまでロジカルシンキングの基本ということで、まず「演繹」と「帰納」の説明からはじめ、演繹法を用いた主張における「過度な一般化」などの「大前提」に関する誤謬について紹介してきました。

本来、ロジカルシンキングは他人を納得させるための強力な手段となります。

人間には本来、ロジカルに考える力が備わっていますから、あなたの主張したい事柄の大前提を明確にして、それに対してどういう事実を当て嵌めて結論を出したのかをはっきりさせましょう。そうすることで、他人はあなたの主張を理解しやすくなりますし、議論のすれ違いも起こりにくくなるでしょう。

また、論文などを書く際にも「大前提は何か?」「どういった情報を事実として扱おうとしているのか?」「どういう結論が妥当か?」といったことを意識するだけでだいぶ変わってきますし、プレゼンなどの説得力も増すと思います。

あなたもぜひロジカルシンキングの腕を磨いていきましょう。本記事がその一助となることを願います。

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